そこに台詞ですか? 前編
今回はいつもとちょっと趣を変えた風景からどうぞ。
決して法事のついでに、とかそんなんじゃない。
コンタクトレンズでも落とした日には、「私たちは最初から二度と会えない運命だったのね・・・」と諦めるしかない、THEこれぞ日本的な中庭。
苔むした何かと、これまた苔むした何かと、結局苔むした何かが目に入る。つまりは、全体的にいい感じに苔むしている。
そこには決して、ダスキンを呼ぶ必要性はない。
当方にはよく分からないが、見る人が見れば分かるワビとサビとが世界を構築している。つまりは「これでいいのだ!」といった世界観がこの中庭という小宇宙に拡がっている。
手入れの行き届いた中庭だ。
ここは某日本料理店の家屋の中庭。料理として出すものも渋ければ、建物自体も渋い。
「まっくろくろすけ出ておいで!」と言った日には、「すみませんでした!中途半端な気持ちで呼び出してすみませんでした!お帰り下さい!」といった類のモノノケが出てきそうな日本家屋である。
そんなところのトイレ。
中庭に面したトイレも「用が足せれば、それでいい」といった、腹が膨らめば三食カップラーメンでいい的な投げやり感は皆無。
トータル的に雰囲気作りがコーディネイトされているのがよくわかる。
トイレに手を抜かないお店はいいお店だ。
右手に見えるのが男子トイレで左が女性トイレとなっている。
右上にチラッと写っているのは、昔の手洗いか。
さて、もう貼り紙があったのがお分かりになられたであろうか?
もうちょっと引いた図をどうぞ。
答えは次回の「厠イヤミ百景」で。
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「厠イヤミ百景の一景」
・本当にあった怖い尻 (更新予定)
・女子マネージャー列伝 (更新予定)
・歩こうの会 おざな (更新予定)
額のある風景
「東から来る人もある
西から来る人もある
また南から来る人もある
だから北なくしないでね 」
久しぶりにパンチの効いた貼り紙だ。
決して、宝の地図ではない。
思わせぶりに引っ張るだけ引っ張って最後に、「なーんちゃって!」で終わらせるタイプのものである。
綾小路きみまろ氏の口述で例えるならば、
「目もかわいい、口もかわいい、鼻もかわいい、バランスが悪いだけ!」
「顔も良い、 スタイルも良い、育ちも良い、運が無いだけ!」
どこぞの三段スライド方式の挙句のオチ。
こういった類のシャレというのは、基本としているターゲットがちょっと高齢の一歩手前の年齢の皆様向けに設定してある。綾小路きみまろ氏の球をどストライクに受け止めることが出来る世代だ。ここでは、きみまろヒットと呼ぼう。
飲むヒアルロン酸こと、皇潤(こうじゅん)のCMが気になり始めたお年頃の、モダンボーイズ&モダンガールズが、柏手(かしわで)を打ちそうなシャレである。
街角で「青汁の無料試飲しています!」と言えば、高確率で振り返ってくれる人たちだ。
貼り紙からは、書いた側からの「してやったり!」、「うまいこと言えたでしょ」的な匂いもほのかにする。
また、定年退職をしてから、急に趣味探しに翻弄した揚句、家庭で楽しく出来る手品にハマりだしたおじいちゃんなども同じような匂いがする。
まだ孫が小さければ、観客としてお爺ちゃんの見せる手品にヨダレでも垂らしながら喜んでくれよう。
「じいじ、ファンタスティック ジャパン!!」と。
俗に言う、O・HI・RO・MEというやつだ。
なんなら、家の中での名称が「ハリー」と呼ばれる日も来るかもしれない。もちろんホグワーツ魔法魔術学校に通うハリーのポッター君から呼び名は来ている。
初めは月一程度だったO・HI・RO・MEも、徐々に二週間に一回程度と間隔が狭くなり、果ては週一になり始めたら・・・、危険だ。受験生のお子さんを抱えてらっしゃるご家庭では特に。
ある日、同じ年代の集まりに孫を連れて行き、うっかり孫が己のことを家同様、「ハリー!おなかすいたよぅ」なんて外で呼んだ日には、照れながらも嬉しさを隠しきれない笑顔で、周りのじいじ・ばあばに我がファンタスティックを説明することであろう。
家でのスター性の説明から火ぶたは切られ、「なんなら今度披露しましょうか?」の方向にまで話は進む。
最終的に「趣味は手品」病がパンデミックよろしく拡がった果ては、その地域一帯で白いハトを一切見なくなる日が来る。
また家庭内の環境によっては、他の家族の引きつった笑顔も逆に披露されることになるだろう。
その家庭内での流行語は、
「いま、忙しから。」
「おじいちゃん、また今度ね。」
で決まりだ。
ところで、貼り紙のセンスというのは文章だけに表れるものではない。
一歩引いて見てみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
もう二・三歩引いてみよう。
なぜ、洗面台に直置き?
コンビニの前でたむろしている若者か?
芳香剤と共に一緒に洗面台に置かれている額。
額の中身はもちろん「北なくしないでね」。
まるで芳香剤が額の中を覗きこんでいるかのようなシュールな図が完成している。
北の風景を思わせる凝った装飾のされている額の中の貼り紙。
確かに額に入れておきたい気持ちもよく分かる。まるで何かの一つの作品のようだ。
トイレは一つのミュージアムだと私は思っている。管理する側のセンスから始まり人間性をもっと見せて欲しいと普段から思っている。トイレの貼り紙を見ている向こうでは、人間を見ているのだ。
しかし飾るところがなかったのね。
トイレの壁のタイルに画鋲が刺さらなかったのか?
そりゃ刺さらないわ。
普通の貼り紙のように両面テープでは支えきれないであろう、額の重み。
落ちれば散乱するであろうガラスの破片。トイレが逆安全地帯と化してしまう。
いわゆる「クソしてる場合じゃねぇ!」状態だ。
でもこれはこれで、なんだこりゃ?と覗きこんでみたくなる人の心理を逆に突くことになっている。
まあ、覗きこんだ果てには、きみまろヒット年代に持ってこいのシャレが待っている。
「ここで時間を返せ!」と思うか思わないかで、優しさが量られることになる。
もちろん私は、「おいしく頂きました!ごちそうさまです!」だ。
さらには、その額の真上の壁には、
「洗面台拭き
(ご自由に
お使い下さいませ) 」
こっ、これは・・・・
「手を洗ったらね、わて、普段からいろいろ豪快やから、もう洗面台がびしょびしょやわぁ。そんなときはな、そうそう、この洗面台拭きで、フキフキしたらええねん。そう、フキフキ、フキフキ、フキフキ・・・・・・・・・・・・・・・って、あらへんがな!キミ!」
これでええのか、こうゆうの期待してたんか?ジブン?
思わず一人ノリツッコミをしてしまったが、見て分かる通り、裸の王様状態。
見えない。
と言うか、ない。
とことん、自分おもろいやっちゃなぁ~。
・・・・・・・・・・・基本、ここのトイレはツッコミ待ち状態なのか?
最後にフィナーレを飾る出口の壁際では、
「帰るとき
来たときよりも
美しく 」
トイレからお帰りのお客に語りかけてきた。
遠足に行く小学生に向けた標語のような一句。
遠足でも出発前などに言えば通じることだけど、もう出て行こうとしている人に言ったとしても、もう後の祭、アフターカーニバルではないか。
既に便器は使用済みである。
トイレの出入り口の外側こと、入ってくるところに貼ってあれば、まだ意図するところは間に合うが、トイレエリアの内側の壁に貼られていたのでは、意味を成さない。
また今度のときね、ということになってしまう。
ここのトイレの構造というのは、壁一枚で外の阿鼻叫喚の世界と区別されているだけである。
それ故に入ってくるときに、この貼り紙には一切目が入らなかった。便器たちはさらに奥に並んでいるので、誰もがスタスタと真っすぐ奥に足を運ぶ。
つまりは入ってくるときに振り返らないと気付かないことになっている。
タイミング的には、入って一秒で振り返らないと目に入らない。
それとも便器の話じゃなくて、自分自身の身形への貼り紙か?
「あれ?トイレから出てきたら、なんか美しさ二割増しになったね?たくさん出たの?」的な?
トイレから生まれるミスユニバースもいるのかもしれない。
どんだけ腹の中老廃物を溜め込んでいたのかは、想像ナシよ。
・・・・・にしても、ツッコんでいいのかしら。
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「厠イヤミ百景の一景」
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すみこon my mind
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人間言いたいことがそれぞれあるだろうけど、思ったことを各々口に出して人にパスしていては、最初は野球ボールぐらいのサイズだったものが、いつしかラグビーボールになったり、はたまたボーリング玉になったりと、下手すれば人を傷つけることだってあるだろう。
そこら辺はツイッターなりで独り言としてつぶやくか、つぶやいた体(てい)で脳内処理するか。
まっ、社会生活の中、そこら辺は大人として上手に建前を駆使というか、人とのコミュニケーションを潤滑する手段ってのはいくらでもあると思う。
また、それとは別の話だが、どうしても人に伝えたいという事柄もある。
話の内容は、「今晩の晩御飯はビーフorチキン?」レベルでも、「周りには気付かれていないと思うんですけど、部長のカツラ・・・違和感アリアリです!部長の肩幅より大きいじゃないですか!」や、「前から君のことが気になって気になって仕方なかったんだけど、そろそろストーカーも止めて真正面から伝えたくて・・・」なんて、大事な告白でもエトセトラ。
目の前にしてしまうとちょっと抵抗があるけど、別の手段を使えば伝えれるという想い。
口で言うには照れるけど、メールだったり、手紙だったり、電光掲示板だったり、さりげないメッセージ。
道路にチョークで、という手段もあるが、渋滞の原因にならないように気をつけてもらいたい。また伝えたかった相手に、人としてどうかと疑われる可能性も出てくる。
それは場所は問わない。
相手にこちらの想いが伝わればいいのだ。
トイレだっていいじゃない。
大抵の人はトイレを利用する。むしろ利用しない人はいない。
「ひどい便秘で、この前出たのは娘が七五三のときだったかしら。そんなあの娘ももう大学生・・・」ならば、出ない自慢をしてもらっても大いに結構だけど、それでも人は一日何回かはトイレに立ち寄る。
そんなところに貼り紙で店主からのメッセージ。
ここは小さな小料理屋、女将さん一人で切盛りしているような店だ。
お店の入り口の戸を開けて、レーサーミニ四駆を「ダッシュだぜ!!」と店内に向けて走らせたら、すぐに店奥のドンツキの壁ににガシャンと軽い音を立てて止まるだろう。
ひっくり返ったミニ四駆は空にタイヤを走らせること確実だ。
そんなお店のトイレにて、
「今日も お仕事
おつかれ様です
そして来てくれて
ありがとう
ゆっくりしてネ
すみこ 」
俗に言うところの「惚れてまうやろ!」という奴だ。
お仕事帰りのお父さんたちは、女将さんこと、すみこ嬢のこのメッセージに「いや~ん、ばか~ん、涅槃!」とクラっと来てしまうに違いない。
トイレの個室という、お店と店側が改めてマンツーマンで向き合うことになる場所。
飲食店なり、お店なりのトイレというのはその店の顔という面もある。
そこへ、あなただけへのメッセージ。
もう一度言う、あ・な・た!だけへのお手紙だ。
ここには逆に、すみこ嬢を独り占めしているかのような錯覚を憶えさせる魔術も隠れている。
幻想だがな。
この「あなただけ」と思わせる心理テクニックも、奥さん覚えて帰って。今晩、旦那の対応が変わるよ。
トイレという気を許している場所で、おや、なにかあるな?と、メガネをクイクイしながら顔を近づけてよくよく見れば、すみこのメッセージ。
気を緩めているときほど、人の言葉が入りやすいときはない。
人が警戒心を解き放つ場所、それがトイレ。
またこの貼り紙のさりげなさもいいんだろう。
これが、年度末の国道にあるような大きな看板のように、
「100m先工事中」、
「50m先工事中」、
「25m先もうすぐ工事中」、
「10m先ほらそこ工事中 coming soon!」、
「5m先あなたのすぐそばに工事が迫ってます!」
的な、とりあえず目に入ることを優先したような貼り紙が大きく貼られていた場合には、お父さんたちは「ああ、こういう人なのね、歌舞伎揚げを二・三個いっぺんに口に放り込むような女(ひと)なのね」と思ってしまう。
女性特有の奥ゆかしさ、さりげない優しさにお父さんはほっこりしてしまう。
またこの小さな貼り紙の随所に見られる女性らしさ、もとい何処か少女のようなかわいらしさも見え隠れする装飾なんかにも、にんまり来ること請け合い。
ドキンちゃんだけに、ドキンとな(言わすなよ、こんなこと)。
そうすると、「ああ、この店にまた来ようかな」、「また立ち寄ろうかな、MYすみこ」と来るわけだ。
それは接客を受けていて、すみこ嬢の人当たりの良さや振る舞いからも感じ取れることだろう。
しかし言葉にしなければ、伝わらないことというのも世の中たくさんある。
むしろ言葉にしなくてはいけないことの方がたくさんあるかもしれない。
そんなメッセージを、さりげなくトイレでほっこり。
トイレの貼り紙には文章を書いた人の性格が表れるものだ。
例えそれが「演出」だったとしてもだ。仮の話だ。
たった一言添えるだけで、男の心は案外簡単に転がすことが出来るかもしれない。
あくまでさりげなくね。
ちなみに、店の名前は「すみこ」ではない。
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「厠イヤミ百景の一景」
・本当にあった怖い尻 (更新予定)
・女子マネージャー列伝 (更新予定)
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